薔薇

 中之島公園バラが見頃だとインターネットのサイトか何かで目にしたので、今日は花見に行こうと前々から決めていた。天気は生憎の曇天であった。しかし、一ヶ月ほど前に購入した一眼レフでの写真撮影にすっかり虜になってしまった私は、ただ撮りごたえのある被写体がそこにあるという事実さえあれば、他のことなんてどうでもよかった。ところで、自分にとって写真とは、何かを表現するための媒体にすぎないし、性能の良いカメラを買いたいとも、撮影の腕を磨きたいとも思わない。それを友人に伝えると呆れられたのを思い出した(それではどうして一眼レフを購入したのかと問われれば、iPhoneや安物のデジタルカメラでは思うような写真が撮れなかったからである)。なんだかんだ言いつつも、一眼レフを引っさげて近所以外へ出掛けるのは始めてだったので、まるで遠足に向かう幼稚園児かのような格好をして電車に乗り込んだ。

 北浜駅に到着し、地上へ上がった途端、眩しい街並みが飛び込んできた。大阪にも魅力的な街はたくさんあるが、私はここ「ナカ」が一番好きだ。「キタ」は少し気取った風情があるように思えるし、「ミナミ」はあまりにも猥雑すぎる。「ナカ」は都会的な雰囲気の中にもどこか懐かしさがあり、身の回りに自然を感じることもできる。将来、この辺りのビジネス街なんかで仕事をできたらいいなと未来に思いを馳せた。

 バラはちょうど見頃で、色とりどりの花が楽しませてくれた。なるほど、平日なのに多くの人で賑わっていることだ。案外、私とそう年齢の変わらないような若者らも多く見かけた。しかし、彼女らはバラを見物しているわけではなかった。みんな、バラを背景に写真を撮ることに夢中だった。これは自論だし、人によっては不快な気持ちになるかもしれないということを承知して読んで頂きたいのだが、バラと写真を撮る人間は引き立て役にしかならない気がする。「バラのように美しい人」などという喩えはよく耳にするが、バラほどの美しさを保有している人間なんていない。確かに、バラ園内にはそこかしこにフォトジェニックな装飾があしらわれているが、それは、バラが自分の美しさを自覚し、気高く傲慢に咲き誇っているから故に成り立っているのではないだろうか。人間はバラの美しさに便乗しているようにしか思えないし、私も彼女らの真似をしてバラと並んだ写真を撮ってみたが、自らの醜さが際立つだけだったので、すぐに削除した。

 しばらく見物し、気に入った品種のメモを取り、鳩を追いかけ、ローズソフトクリームなるものを食べたところで、日光に当たりすぎたのか目眩が酷くなってきたので、すぐに地下鉄の駅へと向かった。地下のひんやりとした空気は、がんがんと脈打つ頭を癒してくれた。せっかくバラを見物して穏やかな気持ちになれたのに、電車に乗ると、また明日からの嫌なことをあれこれ思い出してしまった。イヤホンからはスピッツの曲が流れていた。早くて30分のところを、各駅停車で1時間半かけて帰った。そんな気分だったのだ。

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