監禁

 晴れて四月から大学生になることが決まった私は、バイトも遊ぶ約束もない休日、母に勧められて部屋の大掃除をすることにした。掃除は嫌いだ。どれだけ断捨離をしようが、次から次へとものが溢れ出てくる。尤も、大掃除をしなければならないほどすぐに部屋を散らかす自分が一番悪いのだが。
 私の部屋は勉強机とベッド、そして父が作ってくれた背の高い棚とピアノで構成されている。ゴミの量は、机周りと棚だけでも優にゴミ袋二つ分にまで上った。捨てるべきものはほとんど捨ててしまったかのように思われたが、ベッドの下に大きな引き出しが二つあるのをすっかり忘れていた。手前の引き出しには、小学校や中学校の卒業アルバムや、吹奏楽部時代の楽譜などが綺麗に仕舞われている。しかし、奥の引き出しは勉強机が邪魔になり、このベッドを購入した小学三年生以来、恐らく一度も開けた記憶がない。折角の大掃除なのだから、もう一つの引き出しも開けてみようと思い、勉強机を動かすことにした。あれだけ大きくてどっしりとしていた勉強机も、いつの間にか自分一人の力で軽々と動かせるほどになっていた。たったそれだけのことに、私は恐ろしいほど時間の流れを実感した。ぎゅっと手に少し力を加えた途端、引き出しと勉強机の間に30cmほどのわずかな隙間が生まれた。机を動かした際にたくさんの本が滑り落ちてしまったが、そんなことなんて気にも止めず、私は「開かずの引き出し」に手を伸ばした。引き出しは案外軽い。ギイと軋む音の先には、十年分の埃と、じろりとこちらを睨む大きな箱。それは、居場所こそ忘れていたものの、私が十年間忘れもしなかった箱だった。
 かぶっていた埃を軽く払い、恐る恐る箱を開けてみると、案の定、「彼」が穏やかな表情で私を見つめていた。心做しか「彼」は十年間の時を経て、黄ばんで薄汚くなっていた。理っておくが、「彼」とは決して生きものではなく、況してや人間などではない。ただの白い犬の人形だ。ただの人形なはずだ。しかし、「彼」が十年ぶりに私と目を合わせた刹那、「彼」はこの地球上で生きている何よりも生きているように見えた。
 「彼」は私が物心つく前からずっと隣にいた。母曰く、幼い私に叔母さんがくれたそうだ。人形が大好きで、人一倍多くの人形を持っていた私であったが、記憶の中に一番その影を遺しているのは紛れもなく「彼」だ。「彼」は私の特別な友達だった。遊ぶときはもちろん、家族で旅行に行くときも、お気に入りの鞄に仕舞い込んで一緒に連れていった。幼い私は「彼」とたくさんの思い出を共有した。「彼」を一生大切にしようと誓った。それでも時は過ぎていく。私は自分でも気づかぬうちにどんどん成長していた。小学生になり、人形と遊ぶ機会こそなくなってしまった私だったが、人形たちのことを忘れたわけではなかった。その証拠に、彼らをピアノ台の上に並べて飾りつづけていた。しかし、そこに「彼」はいなかった。人間は時と共に変化していくが、人形は何も変わりやしない。人間はちょっとやそっとの怪我では死なないが、人形は驚くほど脆い。「彼」は以前のように元気ではなくなっていった。それと共に、私は少しの破れやほつれに敏感になっていき、裁縫の上手な母にいつも直してもらった。直してもらう度に、今度は本当に壊れてしまうのではないか、という恐怖が頭を過った。私は「彼」がこのままぼろぼろになっていくのが何よりも怖かった。怖くて仕方がなかった。私はついに耐えきれなくなり、誰も触れられない、何の心配もいらない箱の中に「彼」を閉じ込めたのだ。
 しかし、十年の時を経て、私はさらに変わってしまった。あの頃とは比べほどにならないほど陰鬱な性格になったということは自負している。大学受験のために必死に覚えた英単語なんかは疾うに忘れてしまったが、「彼」と過ごした幼少期は今でも深く心の中に刻まれている。だから、私は「彼」を箱に閉じ込めることをやめた。「彼」がぼろぼろになってしまうことは今でも嫌だが、「彼」の存在が忘れ去られてしまうのは、もっと勿体ない気がするからだ。ずっと闇の中で光を待ち侘びていた「彼」は今、かつての仲間たちと一緒にピアノ台の上に座っている。あの頃と何も変わらない無垢で優しい笑顔は、あの頃よりも暗くネガティブになった私を、少しポジティブにさせた。
広告を非表示にする